うなのです。この隙間を衛るといふことが、やはり国防国家のために、非常に重要なことになつて来るのです。その隙間を衛る任務として文芸とか文学とかいふものを一つ真面目に考へ直したい。これを「文学の側衛的任務」といふことにして、この間もラジオで話したわけです。
 さういふ方向に絶えず気をつけて、それを衛るのが、この際自分たちの任務だと確信して居る人たち、さういふ人たちの存在を重要視しなければなりません。その人々の大事な役割が、ハツキリ公認されなければならぬと私は思つてをります。
 さういふことに関連して、私はまだ政治家や官吏諸君とは余り話してをりませぬが、私たちの言葉の表現がどうも通じないのではないかといふ気がして随分不安であります。決してこちらがえらいことを云つてるつもりはなく、なんでもないことでさへ、一々この云ひ方で通るかなと頭をひねることが大分ある。例へば政治に文化性も持たせたい――と、かう云ふ。ところが、これがなかなか通じません。文化部面――と云つても非常に範囲が広いし、それぞれの専門に分れてをりますが、しかし、それぞれの専門部門の機能を発揮して日本の文化を向上させたい。その土台になるものは何か。やはり政治に文化性がなくては困る。文化だけが独立して政治から離れてよいといふことはない。どうしても今までの政治に文化性がないといふことを先づ反省して、改めて行かなければ駄目だ。今までの政治が民衆から離れてゐる大きな原因はそれだ――といふことを云ふわけですが、それが通じにくゝてなんにも云へないといふ具合です。
 今までにも政治に哲学がないとか、或は文学がないとか、いろいろなことをそれぞれの部門の人が云つてゐたやうです。つまりさういふことが、全体として、政治に文化性を与へよといふ声だつたと思ふ。政治に文化性がないと云ふと、それでは文学には政治性があるかといふやうな、水かけ論がいつまでも続くやうでは駄目なのであります。
 近衛さんは、やはりあの人は政治に文化的なものを注ぎ込むだらうといふ期待が相当大きな魅力になつてゐたやうです。講演などを聴いても、さういふ点で大衆に受け容れられるといふのは面白いことです。この頃は近衛さんもだんだん話がむづかしくなつて来たと申しますが、あまりやさしいことを云ふと揚足を取る者があつて危ないのでせう。わかるから危ないといふのではまた困ります。

 思想
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