於ても、ハアバアト・マアシャルやクロオデット・コルベエルぐらゐの男女は、ざらにゐると思ふ。ただ、彼等及び彼女等は、舞台に立つことを思ひ立たないだけである。いや、既に、あの程度の「素質」をもつた役者が二三人はゐると思ふ。が、彼等は、ああいふ種類の演技を教へられなかつたまでである。
この議論を押し進めて行くと、結局、
一、これから如何なる男女をして俳優を志望させねばならぬか?
二、如何なる素質を標準に俳優志願者を採用すべきか?
三、如何なる舞台に適する俳優を養成し、これを如何に使用すべきか?
といふ問題を解決しなければならぬ。
さうなると、劇団統率者の頭脳並びに趣味を一応吟味してかからねばならぬ。さういふ標準なら御免蒙るといふ志望者の中に、仮にわれわれの期待する俳優の悉くがゐるとすれば、日本の演劇も、未来は暗澹たるものである。
従来俳優を志す青年男女で、自信ありげな連中をざつと点検すると、男ならば、列車のボオイ型、医者の代診型、呉服屋の番頭型、角帽被りたさの大学生型等々に限られ、女ならば、芸者、女給、ダンサア型、が主で、偶々変つてゐれば、味もそつけもない娘型と相場がきまつてゐる
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