。私は何も以上の職業を軽蔑するわけではなく、ただ、これらの職業が作りだす類型的醜悪さを厭ふのである。
 電車のなかなどで、ひとわたり見廻すと、これが役者ならと思ふやうな、印象深い「人間的魅力」を備へた青年男女、乃至は、小父さん小母さんが、決して少くないのである。職業や身分は問ふところでない。彼等は概して類型に嵌つてゐないだけである。必ずしも美男美女ではない。それでゐて、見事に典型の美を備へてゐる。即ち、個性がタイプを作り、そのタイプが現代の雰囲気と調和し、「生活の深い味はひ」を伝へてゐるのである。
 現代の俳優の中にも、新旧を通じ、ある種の「人間的魅力」を備へた人々がゐることはゐるが、なにしろ、その「味ひ」たるや、現代人の舌に合はぬものが多い。伝統的な深みはあつても、社会的の幅が足りない。従つて、今日の舞台が要求する感覚と神経は、それらの人々に求める方が無理である。
 現在、如何なる「職業」に従事するものでも、凡そ俳優と称する「職業」にあるものを除いては、もつと「現代劇の人物」たるに適した風貌を有し、現代劇の「生活」に近い生活をなし、現代劇の呼吸を呼吸しつつあるやうに思はれる。即ち、将
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