れました。
 準備とは何ですか。先づ同志を糾合する事でした。若い同志が集つて来ました。毎日のやうに議論がありました。人々は附いたり離れたりしました。そして最後に組織せられた同人が演出家として土方と和田精と私と、俳優としての汐見と友田と、経営者としての浅利鶴雄とでした。この同人六人はこの劇場経営維持に同じ程度の責任と義務とを持つものでした。
 敷地の選定、警視庁の許可、それにも二ヶ月以上の考慮と奔走とが費されました。建築のプラン、舞台設備の設計、観覧席の研究――それにも一ヶ月以上が費されました。今年一杯の演出目録の予定、同人以外の同志――その内には俳優もあり、照明家もあり、舞台装置家もあり、舞踊家もあります、――が集められました。

 議論又議論、熟議又熟議、一つのアンサンブルとしての基礎は固くなつて来ました。最初に俳優の基礎教育が始まりました。発声、律動、発語の訓練が始まりました。建築についての当局との交渉も円滑に進みました。四月廿六日の朝、築地二丁目の小さな敷地に縄張りが施されました。そこの後には武藤山治氏の二千人はいるといふ演説場が既に天を突いてゐます。そこの隣りには団十郎座の建設
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