を踏み込んでゐたら、もつと激しいシヨツクを受けてゐるであらうことは勿論、やがて起つた所謂「演劇復興」の掛声に対しても、また別な感慨をもつてこれを迎へたであらうと想像されるのである。
早く云へば、劇場の封鎖も雑誌の休刊も、当時の僕には、それほど痛痒を感じさせなかつたと云へるかも知れない。あの混沌たる情勢のなかで、僕は早くも自分の原稿のことなど忘れてしまひ、明日から親同胞を養つて行く職業のことを想ひめぐらした。そして、古本屋をやらうと決心するに至つたこと、それがおいそれとは出来なかつたこと、そこへもつて来て旧友鈴木信太郎君から耳よりな仕事の話を持ち込まれたこと、など、詳しく語つてゐる暇はない。
たゞ、この仕事の話といふのは、前にも云つた「フランス文学の叢書」といふ厖大な翻訳事業のことで、例の辰野氏、豊島君などもこの計画に加はつてゐる関係から、僕は自分の好きなものを勝手に引受けるといふ特権(?)を与へてもらふ形になつた。で、僕は先づそのなかゝら二つを撰んだ。例のルナアルの「葡萄畑の葡萄作り」と、アナトオル・フランスの「鳥料理レエヌ・ペドオク」である。このことを特にこゝで記しておくのは、僕
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