云へるであらう。が、しかし、僕の芝居といふものに向つて見開かれてゐる眼が、これによつて、少しも狂ひを生じたとは思へぬ。云はゞ、今日の日本に於て、芝居そのものはたしかに二つの道――二つの伝統を過去と未来にもつといふ事実を確め得たに過ぎぬ。その二つの道は同時にこれを踏んで行くことはできないのである。一方は過去より現在につながる伝統である。もう一方は、現在より未来へつながる新しい伝統なのである。その証拠に、菊五郎の芝居は、如何に完璧であつても、そこから何を生み出す力をもつてゐるか? 僕の不覚な涙は、或は民族的なある繋がりを証拠だてるかもわからないが、断じて、それは、未来性をもつものではないのだ。僕は歌舞伎の形式の美しさに、ある人々の如く芝居の本質的な生命を感じる雅量をもち合せてゐない。つまり、個人的な問題にふれることを許してもらへば、僕のなかにある封建的なものが、僕自身にはいやであり、しかも、うつかりするとそれが幅を利かすやうなことがあり、たまたま、友人と久しぶりで歌舞伎を見物するといふやうな場合に、この西洋劇の信奉者は、正体もなく馬脚を現はしてしまふのである。
こゝで、はつきりさせておき
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