なかつたまでゞある。云ひかへれば、自分が今そんなことをしても誰のためにもならぬといふ見極めをつけた上でのことなのである。
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 僕は最初、文学に志し、偶然仏蘭西語を子供の時からやつてゐたといふだけの理由で仏文学をかぢり、仏文学を原統的に学ばうと思ひ立つて先づ古典作家を読みはじめ、その代表的な作品が戯曲であつたところから、劇文学に興味を持ち、仏蘭西へ渡る機会を作るに当つて、将来の職業のことも考へた結果、日本に於ける演劇界の現状に一瞥を投げる気になり、当時の新劇運動を若干の舞台を通じて観察した。「復活」、「修善寺物語」、「忠直卿行状記」並に「その妹」、強いて附け加へれば坪内士行の「ハムレツト」、これが渡仏前に観た日本演劇の殆んどすべてゞあつた。
 巴里で最初に訪れた劇場はサラ・ベルナアル座で、演し物はロスタンの「雛鷲」、一番前の列で、女優の凄いメーキアツプを孔のあくほど見つめてゐた。
 現代作家のものは多少は読んでゐたが、ロスタンとヱルヴイユウを当代の双璧と思ひ込み、或は思ひ込まされてゐたものゝ、本場の消息を探つてみると、少くとも、一癖ある批評家は、この二人を問題にして
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