の中に求めるものは何かといふと、芝居ではなくて、生活であるといふことであります。これが一時代前とは、芝居に対する要求が、違つて来てをります。芝居の中に、芝居を求めるといふことは、確に、芝居の盛な時代――芝居の爛熟期――の一般民衆の要求でありました。
 さて、かういふ風に近代に於いては、芝居の中に生活を求めます。この生活が、先程言ひました「そこに生活がある」「彼は生活をもつてゐる」といふ意味での生活であります。近代劇は、先づさういふ意味に於いて、過去の演劇と、はつきり区別されると言つてよいのです。日本の芝居は、今日まで、新しい形で皆さんの前に表れて居りません。それは、舞台の上に実際さういふ意味での生活が、未だ盛りあげられないためであります。
 実際生活の中に芝居を発見する眼を有つてゐる我々は、この舞台の上では生活を求めます。この、芝居に生活を求めるといふことは、戯曲がまづ文学であるといふことと、もう一つは俳優が生活人であるといふことの、この二つのことが今日の必要な問題であります。さて、戯曲が文学であるといふことはまづ判つたとしても、俳優が生活人でなければ、我々は満足出来ないといふことは、
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