に対するには理論を以てせよである。新感覚派の主張が気に喰はなければ、それを打ち破る主張を立てるがいゝ。新感覚派の作品を攻撃するなら、その欠点を堂々と指摘するがいゝ。但し、その欠点が、新感覚派の主張から生じた欠点であるか、作家の才能不足から生じた欠点であるか、そこをはつきり見分けてからにするがいい。更に、新感覚派の作品は下らない。自分ならもつと佳いものが書けると思つたら、愚図々々云はずに、何か書いて見るがいゝ。気が引けさへしなければ、「新感覚派に非ず」と註でも附けて置くがいゝ。
 僕は最後に、念の為め、「新感覚派」といふ語に対して、僕一流の解釈を下して置く、常識的観察より超常識的観察へ――因襲美より独創美へ――道義的価値批判より現象的興味へ――説明的論理的叙述より暗示的綜合的想念喚起へ――言葉の意味より言葉の幻象《イメージ》へ、内容より効果へ――この飛躍、進展、推移、突入を目指す文学的努力、これは、新感覚派であれ、何であれ、新時代の(百年前にも新時代があつた)新作家が、疲弊した旧時代の(百年後にも旧時代があるだらう)地殻を破るたゞ一つの旗色である。
「文学をして文学たらしめよ」この叫びは
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