事新報に出た片岡君の文章などを引張り出し、それを突きつけて、もう一度読んで見ろと云つたのである。
僕は、元来、人の議論がわからない性分で、その上、すぐに揚足を取りたくなる癖があつて、甚だ始末に悪いのであるが、両君の所説は、これはまた、一目瞭然、これに反対する人間がゐるのかと思はれるほど条理を尽したものであつた。
さて、新感覚派が、かういふものなら、お前も一つその仲間入りをさせて貰つてはどうかと、勧めるやうな気になつて、新感覚派を攻撃する手合の、一人や二人は引受けて見るつもりになるが、その相手たるや、甚だ、武士道を弁へてゐないらしく、何かと云へば、「作品を見せろ」「作品を見せろ」と、遠くの方で怒鳴つてゐる。
文学といふものは、好きでなければ面白くはない。殊に傾向的なものほどさうである。あら[#「あら」に傍点]ばかり探してゐて、何が面白いものか。屑屋にも劣る根性で、文学をやるのが間違つてゐる。
いや、面白いから好きになるのだと、うまく云ひ抜けたつもりでゐたら、それは、自分が文学の素人であることを告白するものである。
自分のことは棚にあげて置いてこそ、総て理屈が云へるのである。理論
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