リンもさることながら、ピレネエ山麓のポオに、あのぽかぽかする三月と四月とを過した時のこと、ある夕暮の公園で知り合つたカナダ生れの女批評家ミス・Wと、その仏語教師C君――われわれは、ペエル・ゴリオ風に、この中年の好紳士を、ムッシウ・コンシャルドラマと呼び習はした――この二人のことである。ミス・Wの餅を頬張つたやうな仏蘭西語を、C君の註訳入りで聴いてゐると、彼女は、イプセンの崇拝者であり、タゴオルの研究家であつた。そして、C君同様、肺を病んで、この南仏へ療養の旅を思ひ立つたのであつた。そして、逓信省の一官吏なるC君を、ただそれが仏人なるが故に、仏語教師として朝夕その身辺に侍らせてゐるのであるといふことがわかつた。
「このムッシウは、私のやうな若い女にとつて、甚だ安全な方であります」と附け加へた時、私は、眼を見張つてC君の顔を見たが、その時、このバルザック流の人物は、年ごろ持ち古したらしい無趣味そのもののやうなステッキの上に、剃りたての頤をのせて、思ひがけなく太い口髭の下から、「メフィエェ・ヴゥ」(どうだか、あてになりませんよ)と云つた。そしてから、そのステッキを、今度は、撃剣の手真似で前の
前へ
次へ
全9ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング