たしか、おやぢの乗馬用の鞭のお古だつたと記憶する。私は、あの、節の細かい竹の棒を、ステッキとも杖ともつかず、無垢な十六の手で打ち振りながら、夏の耶馬渓を遡つた。
それから、二十三まで、ステッキに遠ざかつた。
Fさんの農園を見せて貰つた帰りに、雄勝川の橋の上で、アッと云ふ間もなく、真二つに折れた紅葉のステッキ!
シモンヌ夫人の『※[#「雛」の「隹」に代えて「鳥」、第4水準2−94−31]鷲《レグロン》』に魂を奪はれ、サラ・ベルナアル座のボックスへ忘れて来た黒檀まがひの安物、思ひ出なればこそ心残りである。
西洋のある女が、日本人のステッキの持ち方は、盲が杖をつくのと同じだと云つた。私は、盲の杖と間違はれないやうなステッキを選ぶより外ないと思つた。
ニイスで、ドゥヴィルで、メラノで、私は、若い女の手に細身のステッキが、チヤンと落ちついてゐるのを見た。ただし少くとも、それらの女は、ものを云ふ時に、口を動かしてはならない。
去年の夏、房州で病を得て倒れ、「絶対安静」三ヶ月の後、奇蹟的にふらふらと起ち上つた時[#「起ち上つた時」は底本では「起ち上った時」]、私は、ステッキならぬ
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