時によると一時間早目に行き着くのである。さう心掛けてゐるわけではないが、さうせずにはゐられないのである。少し遅れて行くあの優越感に似た気持、わきから見るあの「ほどのよさ」を知らない訳ではないが、どうも、困つたもので、いつも早く行きすぎる。それが、恋人とのランデ・ヴウででもあるなら、まだ訳がわからないこともないが、旅行をする時の汽車の時間がさうである。芝居を見に行く時の開幕時間がさうである。晩餐に招かれた時がさうである。悲しいことには、借りた金を返しに行く時――もちろん、返し得る場合に限る――までが、さうなのである。
なんで、自分の時計など、あてにするものか!
私は、これまで身につけた時計の数は覚えてゐるが、これまで失つたステッキの数は覚えてゐない。それも、十三からステッキをついた筈ではないのに!
私は、私が嘗て朝夕の散策に伴つた数々のステッキの運命について、この日ほどしみじみ考へたことはない。この日とは、私が大枚二十金を投じて、アッシュとやらいふ自然木の、柄にはつつましく象牙をあしらつた、見るからになんでもないやうなステッキを新調した日である。
私が最初に握つたステッキは、
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