段のつかないほど珍しいものだと云つたさうである。只なら欲しいといふ意味だらう。

 これからも、恐らく、時計を買ふことはないだらう。いま時計など持つて歩くと、始終捲くのを忘れたり、それならいいが、自分で時計を持つてゐるのをすら忘れて、やつぱり、人に「いま何時?」などと訊くに違ひない。さういふ場合、後から気がついて、またへまなことを、例へば、「どうもこの時計は遅れていかん」なんて、云ひ出すかもわからないではないか。
 それに第一、自分の時計が、それほど信用できるかどうか。ドンが鳴ると、一斉に時計を出して見て、一人が、「おや、今日のドンは三十秒早い」なんていふのは、まだ愛嬌にもなるが、「君の時計合つてる?」と訊かれ、即座に「合つてる」と答へる男は、そんなに頼もしくないやうな気もするのである。まして、「いま何時」――「今かい、今はね」と考へて、「零時…二十三分…十秒」などの気障《きざ》さ加減に至つては鼻持ちがならぬ。

 私は、たまに――それこそ、ほんとに、百度に一度ぐらゐである――約束の時間に遅れることはあつても、断じて、その時間にきつちりその場所へ行き着いた例しはない。いつでも三十分か、
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