、その銀側を持ち続けてゐた筈だが、いつ、どこで、どうしたのか――ああ、さうさう、これを忘れてゐる法はない。巴里の、ある裏通りの、安下宿の二階で、ある日、病気で寝てゐると、そこへ、瓦斯屋に化けた強盗が、悠々とはいつて来て、いきなり、何か、石ころを袋に填めたやうなもので、熱のあるこの頭を、ガンと擲りつけ、痛いなあと思つてゐるところを、「金、金」と云ひながら、その辺を捜しまはし、化粧台の上にのせてあつた、例の銀時計を剃刀と一緒に持つて行つてしまつたのである。
家主のお神さん、T夫人が、その後、私を彼女の物置に案内して、古い額などを見せた時、「こんなものが……」と云つて、埃の中からつまみ上げたのが、今、私の所有に属してゐる鉄側で、夫人のお父さんが、そのまたお父さんから譲り受けた品物であるといふだけでも、明かにロマンチック時代のあの懐しい面影を伝へてゐることがわからう。
この鉄側は、しばらく、一本の短針だけで、大体の時間を知らせてゐたが、今は、それすら動かなくなつてしまつた。末弟が時計屋に持つて行つたら、大変珍しがるので、そんなに値打がある代物かと思つて、値ぶみをさせてみたら、笑ひながら、値
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