富である。外国兵がいないこと、女の化粧がつつましやかなこと、梅の花が美しく咲くことなど、私にはありがたい。
 ソクラテスの言葉として伝えられているのに、こんなのがある。曰く――「アテネの町は恋人の如くに人々から愛された。ここへ散歩に来ること、閑をつぶしに来ることを、人は愛した。が、何人も、これと結婚するほどには愛さなかつた。即ち、ここに移り住もうほどにはこれを愛さなかつた」と。
 アテネの町を小田原の町と置きかえてみたら不都合であろうか?
 山県有朋も伊藤博文も、ここに別荘を建て、それぞれ古稀庵、滄浪閣と名づけて、今もその跡が残つている。
 北原白秋も谷崎潤一郎も三好達治も、いずれもこの地を愛し、この地に何ものかをとどめ、そして遂にこの地を去つて帰らなかつた。
 しかし、これは小田原の罪ではなく、また誰の罪でもない。東京があまりに近く、かつ、人々が若すぎたというだけのことであろう。
 小田原という町は、ただ東京に近いだけでなく、日本国中のどこからでも、そんなに遠くないような気のする町である。おそらく、小田原の名を冠した「提灯」や「カマボコ」のおかげかもしれぬし、また、小田原評定などとい
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