て来る。
 一昨年は北軽井沢、昨年は伊豆三津浜に、今年は、この小田原の仮寓に、親子三人、例の如く元日の朝の食卓に向つている。(筈である……)

 ただ今、私が住んでいる小田原の家というのは、隣りの缶詰工場の異臭と怪音を除けば、斎藤緑雨のいわゆる「海よし、山よし、天気よし」の三拍子そろつた恰好の住宅である。「天気よし」という表現は、緑雨らしくて私には面白い。
 緑雨といえば明治文壇の奇才で、その「あられ酒」は私の愛読書であつたから、彼が病を得て三年間こゝで療養生活を送つたことを聞くと、不思議な廻り合せという気もする。
 まつたく、小田原というところは、冬の晴れた日に、そのよさを発揮する土地である。病床にある緑雨が「海よし、山よし」とまず風景をたたえ、ついで一と息に、「天気よし」と、明るく暖かい太陽の恩恵に感謝の叫びをあげたところ、私も同感である。
 小田原は、今の私にとつて、実にぴつたりした申分のない土地である。
 この程度の小都市は、私に適度の休息と刺激とを与えてくれる。
 必要なものはほとんどなんでもあるが、余計なものはそれほどない。
 魚の新しいことはもちろん、海岸としては野菜も豊
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