とか、娯楽施設とかいふ方面においては、今日まで、現地機関の手が十分廻りかねてゐる実情を無理からぬことゝ考へた次第であつて、これこそ、国民一般が、その精神的能力を総動員する立前から、是非とも必要の度において、それぞれの技術と信念と努力とを進んで提供すべき場所だと私は痛感したのである。
 更に細かい点にふれゝば、占領地各都市町村には、少くとも一つ以上の邦人経営の支那人のための小学校、中等学校が必要である。また、何れの学校にも日本人の語学教師がゐなくてはならぬ。これは一日も忽せにすべからざる問題である。
 現に、楊州地区では、私個人にではあるが、日本語教授のための青年を十人選定して欲しいといふ依頼があつた。実際は、その必要が感ぜられてゐながら、それを国民一般が知らずにゐるといふ法はないのである。道がついてゐなければ、その道をわれわれの手で拓かなければならないと思ふ。楊州ばかりではないと思ふが、他に本職のある兵隊さんや特務部の班員諸君が、忙しい時間をさいて、熱心に日本語の講習をしてゐるところをみると、われわれはなにをしてゐたのだと思ふ。

     中支に張られた欧米の根

 私は中支の各地方
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