けで既に、備へなき精神の虚を暴露するものである。
 さて、かう述べて来ると、私たちは、かの封建時代の女大学式婦道をそのまゝ礼讃するかのやうに思はれるかも知れぬ。
 決してさうではない。
 封建時代の、仏教乃至儒教の影響を受けた女性観には、多分の非日本的性格と家族制度の末紀的現象を反映した、女性を汚れあるものとし、或は度し難きものとする傾向が見られないことはない。
 女三従説の如きは、趣旨はともかく、表現が寧ろ穏かでないとさへ思はれる。
 事実、男尊女卑は日本の思想ではなく、夫唱婦随の妙諦は、夫の責任と妻の信頼から生れるものであることを、日本の男と女とほど、よくこれを知つてゐるものはないのである。
 嘗てフランスの詩人ジャン・コクトオが、接客の儀礼を鮮やかに身につけた日本婦人の多くをみてこれを「奉仕の女王」と呼んだ。
「女王」の尊称を奉つたのは、威厳、鷹揚さ、気品といふやうなものを特に感じとつたからであらう。言葉はもちろん洒落に過ぎぬけれども、彼の云ひたかつたことはよくわかる気がする。
 服従が若し日本の女の美徳であるとすれば、その服従は、男に委せるべきものを委せる果断と没我の勇気から来
前へ 次へ
全28ページ中26ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング