触れるやうなことになつたのである。一作家の妻として、繋累の多い家庭の主婦として、二人の娘の母として、彼女がどういふ重荷を背負ひ、どんな疑ひを疑ひ、どんな憂ひを憂へたかといふことが、走り書きの文字の間にありありと読みとれる。そして、その印象は、私の個人的な感情をゆすぶるばかりでなく、なにかもつと広く、もつと厳粛なものとして響くやうに思はれてしやうがない。
結婚前の日記がわりに細かく、丹念に続けられてゐるのに反し、結婚後は、ずつと飛びとびに、それも心覚えの程度にしかつけられてゐないのも、私にはうなづかれる。
かうして、妻の日記を手がかりに、私は、一人の女の生涯について考へはじめた。
家内の葬儀をすましたあとの、私および私一家の空虚と照しあはせて、彼女の存在の意味が日一日と強く心に感じられるにつけても、私は彼女の死を機縁として、この重大な時代を生きつゝある日本の女性に、なにか言はねばならぬことがあると信ずるに至つたのである。
私たちは、どちらかといふと晩婚の方であつた。家内が二十六、私は三十七であつた。夫婦といふもののねうちは、二人がつくる歴史の重みにあるのだと私はかねがね思つてゐ
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