、この時代に日本に生れ育つたものの、ひとしく身をもつて経験し、または、するであらういろいろな事実を含んでゐる筈である。
さて、私の母は、七十七歳の長寿を全うして世を去つたのであるから、云はゞこれは自然の順序であり、特に異常な衝撃を受けるといふやうなこともなかつたけれども、妻は、結婚後十五年、病床にあること半歳、私が医師から危険の宣告をうけて僅か三日後に、四十年の短い生涯を終つたのである。
「死」といふ運命についてだけ考へると、その死にかたによつて著しく意味は違ふにせよ、今や、何人もわが身に近い一人の死をいたづらに嘆き悲しむ時ではない。それゆゑ、私は決して、妻の死を悲しむ、その悲しみを人に訴へようなどとは毛頭考へてゐない。
私はたゞ、世の常の夫として、「妻」なるものの全貌を、その死とともにはじめて胸中に描き得たことを識り、驚きをもつて、彼女の生前の日常を想ひ浮べてゐる。私の記憶をこまごまと喚びさますものは、妻が折ふしに、気の向くまゝに書きしるしたと思はれる日記風のノートの断片である。もちろん、公表すべき性質のものではなく、私にさへ読まれたくはないものと察せられるが、それが偶然私の眼に
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