せしめたのだと私は思はざるを得ぬ。
私は、それにしても、この十八世紀的憂悶をそのまゝ是認する気はない。彼女の日常の言動にそれが現はれてゐたならば、私は仮にも容赦はしなかつたであらう。彼女は慎しみ深く私の前にそれを押しかくすことに努めてゐた。
しかし、彼女の浪漫主義は、自分の鏡にそれが映るほど世紀末的なものではなかつたと、私は一方、彼女にそれをきかせたくもある。
彼女は大旅行を常に夢み、殊に印度、中央亜細亜或は阿弗利加の奥地に心を惹かれてゐたらしいけれども、横浜から神戸までの僅か一昼夜の海上生活にたわいなく満足し、隣組の問題には驚くほど熱心で、近所の子供たちを集めて音楽会をやらせ、自分がお守役を引きうけるといふ始末である。
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昭和十五年二月十一日
昨日は忙しい日だつた。
客、○○○さん。明大新聞の人達三人、文理大の三人。
晩の十時頃になつて○○○○さん。○○さんの媒酌人になれといふのが表向きの用事。
晩いので泊めてあげる。
朝、お雑煮をこしらへる。鶏肉、かまぼこ、松茸、はうれん草、海苔。
食後の話、天孫降臨の地について。政治。釈迢空の歌について。
柳田国男氏の伝説研究について。
二人の愛国の士風の会話。
三時のおやつに蜜柑をやつたら、○に不平をこぼす。因つて、晩に少しばかりお説教をしておく。今の日本人はぎりぎり入用なものだけ、食物なら成長に必要な、生きて行くのに是非必要なものだけで我慢をしなければならないこと。二人ともおとなしく聴いてゐる。
夜、体温七度二分。
チボー家「診察」篇を読みはじめる。
フィリップ博士の素描。
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かういふところへ来ると、私は、彼女の「淋しさ」が「空想の淋しさ」ではなかつたかとさへ思はれるのであるが、それをさうと断言する自信は私にはまだない。
いづれにせよ、彼女は、次第に結婚生活の現実に順応しつゝあつたことは事実であつて、そこに新しい何ものかを発見したかどうか、それがまた彼女の半生をいくぶんでも生き甲斐あるものとしたかどうか、私にはたゞそれについての希望的判断が許されるだけである。
疑ひないことは、公私を通じての私の仕事をよく理解し、常に私を励まし、慰めてくれたこと、主婦としての生活の設計に頭を悩ましながら絶えず細かなことが意の如くならず、日々を重荷の如く引きずつて来たといふこと、母としては、愛情の表現について、やゝ懐疑的であつたと思はれるふしがあるけれども、気分にめづらしく晴曇なく、娘たちにとつてこの上もない清らかな「母」の映像を残して行つたに違ひないといふこと、これだけである。
青春に酔ひ、天才に魅せられ、かくあるべき人生を幻に描いてゐたこの薄命な一人の女の生涯を、私は、それが私の妻であつたがために悲しみ、憐れむものである。
時代と環境によつて導かれた女性の「教養」の型について、私は今しみじみと「犠牲」といふ言葉に思ひ及んでゐる。
十五年間、家庭を営むための惨憺たる努力の跡は、すべて彼女としては、日常茶飯の技術の上にあつたといふこと、それは綿密なノートだけではどうにもならぬ感覚の訓練と伝統の反射作用とでも云ふべきものであつたことである。従つてそれはもう絶望的と考へられるほど瑣末な神経の巨大な浪費を意味してゐた。病弱な肉体の過重な負担であつたことは想像に難くない。
彼女の憩ひと自由とは寧ろ精神の散歩のなかにあつた。しかも、孤独な散歩である。
地上の幸福は遂に訪れるべくもなかつた。宗教を求めて信仰をかち得ず、自尊の蔭に涼風をあつめて、静かに死を待つた一時を思ふと、私は、泣かざらんとして泣かざるを得ぬのである。
私は亡き妻の日記が私に教へるところに従ひ、世の若き女性に愬へる。
日本の女としての、真の幸福とはなにかといふことを、今こそはつきりと自覚しなければならぬ。
それは第一に、日本の男を男らしく作りあげるといふことにあると私たちは信じる。妻として夫を、母として息子を、主婦として世間の男たちを。
第二に、それがためには、女は女の本性を最高度に発揮することである。古来、女の「たしなみ」と云はれたものは、日本の歴史が作りだした理想の女の魅力ある映像であつた。
「たしなみ」が「教養」といふ言葉に変つたとき「たしなみ」のもつ「道」としての、即ち、心身一如の訓練による生活の技術的体得が忘れられたのである。
男子の場合もまつたく同様である。
「たしなみ」は、道徳と技術との綜合の上に描かれた人間生活の軌範であり、また、それぞれの社会的、性的、年齢的条件に応じて示される力と美との活きたすがたであり、信念と叡智と品位との最も巧まざる表象である。
近代の「教養」も亦、結果としてこれと等しきものを目ざしてゐながら、それは、衣裳の如く身に纏ひ、せ
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