の内外情勢に照して、甚だ不都合な側のいひ分であると断じなければ気がすまぬひとつの立場を、私は幾分承認できるつもりである。たゞ、双方で、さういふ対立する部分的観念(ある時代にはこれが部分的ではなくなるかも知れぬが)に拘泥して、自分たちが、「ある処までは」手をつないで共同の敵と戦ふ役割を果さねばならぬ――また、それが可能である、といふ事実を忘れてゐてはならぬと思ふのである。
そのためには、どうしても、まづこの種の問題に関心をもつ文学者は、思想家である以上に政治家でなければならず、革命家である前に、啓蒙家(?)である必要がありはせぬか? 非合法の手段を懼れぬといふならこれはまた別である。活字として発表できぬ事柄を、無理に活字にしようとする苦心焦慮が、たま/\、今日、味方の揚足を取り、その言葉尻を押へて、間接の鬱積を晴らすといふことになつては困ると思ふ。誰がそんなことをしたと開き直られゝば、私は軍部大臣のやうに言葉を濁すかも知れぬが、なんとなく、そんな気がすることがある。
「寛容といふ陰険な近代病」もないことはないから、自ら自分の心に問うてやましくさへなければ、「文学」といふ仕事の名において
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