して「現在の危機」と戦はうとする一種ストイツクな犠牲的相貌である。
かの江戸文学から明治の自然主義、更にプロレタリヤ文学の全盛期から今日へかけての近代日本文学の伝統の底に、見逃すことのできない暗黒な一点を、何時、今日ほどまざ/\と世人の眼に投げ出してみせた時代があらう。いはゆる、純文学の宿命がそこに繋りをもつといふ意味さへ、今やうやく、一部の人々は気がつきだしたのである。
この絶望感は、必ずしも虚無的な形で現れないのは勿論、現実を眺める角度にも関係はないのである。従つて、理想社会をめざす戦闘文学の光明性すらも、なほかつ「現在」を照らさないといふ矛盾があり、読者は文学のうちに「現在」を生きようとして、常に冷やかな白眼に出会ふ習慣を与へられた。かゝる文学的性格は何処から生れたかといへば、わが封建制の特殊産物たる階級的倫理教養が、一切の反逆精神を陰性化したところにあり、憤懣は諷刺にさへ伸び得ず、引火点は直ちに自己破滅を意味する激情の燻りを歴史は幾度も語つてゐるのである。
多くの西洋人は、如何に屡々日本人が「仕方がない」といふ言葉を使ふかに気づいてゐる。これをわれ/\が「諦め」なる美徳の
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