ためにどこか自由にならぬところがあると云へるものがあるのであります。さういふ事情がもとになつて、新体制の呼び声となり、国民再組織の運動となつたわけでありますが、その原因はいづれにあるかと云ひますと、私の考へでは、国民の一人一人が、わが国古来の「たしなみ」といふものを、つい、忘れかけたといふ一事に尽きるやうに思ひます。
 国民に「たしなみ」が欠けてゐては、国の国風《くにぶり》といふものは振ひません。
 日本の歴史を通じて、時代時代に形の上の移り変りはありますが、あれほど、人間的滋味を発揮した日本的な「たしなみ」が、この昭和の聖代に、なぜ、その影を消したかのやうに見えるのでありませう?
 それは西欧的教養が、未熟のまゝ取り入れられたからであります。また、封建的な躾けが、一方そのまゝ若い時代へのしかゝつたからであります。この二つの現象は、明治末期から今日へかけて、すくよかに発展すべき日本文化を、混乱させ、荒廃させました。そんなわけですから、若し日本の近代化が先づ軍備より起り、民族の特質が先づ国軍の結成の上に集中し、国家活動の重点が、勢ひ武力の宣揚におかれなかつたならば、今日われわれは、恐らく、世界の半ばを敵とすることはできなかつたでありませう。
 ところで私は、一国の文化といふものは、まことに、何気ない生活の表情のなかにあるものだといふことを、常々感じてゐるのであります。

 こゝに、先年東北へ旅行をしました時、私が秋田の町で目撃した、ちよつとしたことを御紹介いたします。

 場所は例の城跡の公園であります。
 夏の終りでありました。まだ昼間は散歩に暑く、私は一軒の茶店に腰をおろして、氷水を注文いたしました。
 六十をいくつか越したと思はれる人の好ささうなお婆さんが、ひとりで店をやつてゐるのです。
 ほかに若い男の客が一人、縁台に片膝をのせて、昼飯代りのうどんを食べてゐます。お燗も一本ついてゐるやうでした。若いといつてももう三十近くでありませうか、非常に落ちついた様子で、最後の杯をあけ、勘定をすまし、やがて外へ出て行きました。
 私は氷水に咽喉をうるほしながら、店の中をあちこち眺めました。なにひとつ眼を引くものゝない、あの平凡な、くすぶつた、どこにでもある住ひであります。
 急に表で女の子の泣き声が聞え、その泣き声と一緒に、ずぶ濡れになつた六七歳の女の子が駈け込んで来まし
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