言葉言葉言葉
岸田國士
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)旱《ひでり》が
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)活き/\
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――僕はあなた見たいな女が好きですよ。
――さう? あたしも、あなた見たいな男が好き……。
――へえ、それぢや、入れ代つたらよかつたなあ。
かういふ間違ひは、そんなに稀ではない。
頭のてつぺんから――うしろから――額の生え際から声を出す人がある。
日本の役者は妙な処から声を出しますね。――旧劇では頬のあたりから。新派劇では眼と眼の間から。そして、所謂新劇では、はてな、あれはと、耳の上からでしたね。たしか……。
公園のベンチに腰をかけてゐると、一匹の野良犬が、どこからかやつて来て、ベンチの脚に小便をひつかける。
犬は、してしまふと、僕の方をちらと横目で見て、あわてゝ眼をそらす。さうして、気まりが悪るさうに、向うへ行つてしまふ。
「おい、君、君……」
僕はうつかり、さう呼びかけるところだつた。
批評家が、自ら他人に加へた批評を読み返して見て、常にそれが、恰も他人が自分に加へた批評であるかのやうな感銘を受ける時、その批評家は、みぢめである。
彼は、しまひに、本当のことが言へなくなるだらう。
僕もさういふ一人であるらしい。
「翻訳者の歓びは、発見者の歓びである」
僕がかういふのに対して、友の××は言ふ。「翻訳にも創造がある」と。そして附け加へる。「マラルメやヴアレリイを訳してゐれば、自分も詩を作らうなどといふ欲望は起らない」と。
僕がこの友を畏れ、且つ愛する所以である。
親戚の青年が一人、僕のところにやつて来る――月に一度乃至二度。
彼は、来た時にはたゞ頭を下げる。それから帰る時、「もう帰ります」と云ふまで、黙り続けてゐる――二時間でも三時間でも、時とすると半日。
僕は仕事の手を休めて彼の顔を見てゐる。といふよりも彼が今、何を考へてゐるかを知らうと努める。……彼は何も考へてはゐない。たゞ、悩ましげに、「自己の存在」を見つめてゐるのだ。
彼は僕と話をしに来るのではない。彼には、黙つて彼の前にすわつてゐる人間が必要なのかも知れない。
誰にでもさういふ時がある。
庭にコスモスを植ゑさせた。少し時期が遅いかも知れないといふこ
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