といふものは、全く争はれないもので、これがその人の特徴にもなり、また多くの場合、気障《きざ》つぽさや滑稽さを加へるものである。教師は何時でも「教師らしく」話し、女優は何時でも「女優らしく」話すものであつて、それを自分では知らずにゐるのである。

       六

 そこで、「言葉遣ひ」と共に、「言葉の調子」といふものが、如何に重大であるかといふことがわかる。
 方言や訛と共に、「アクセント」といふ問題が生じて来るが、これは、単語について云へば、関西と関東とで、大体あべこべと考へてよろしい。この習慣はなかなかなほらないもので、発音の訛はなくなつても、アクセントの誤りは、東京に三十年ゐてもそのまゝといふ人が随分多い。
 しかし、それよりも大事なのは、「言葉全体の調子」つまり、「話のしかた」とも云ふべき、抑揚高低緩急の操作である。これは、「言葉遣ひ」の中に含めることも出来るが、引離して考へる方が便利であるから、こゝで、一応述べておくことにしよう。
 言葉の調子を形容するのに、例へば、「甘つたれた調子」とか、「朗らかな調子」とか、「無愛想な調子」とか、「慇懃な調子」とか、「世間馴れた調子」と
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