五

 現代の小説や戯曲は、大体、標準語たる口語体で書かれたものであるが、日本の口語体は、そのまゝ「話される言葉」でないことは誰でも知つてゐる。「話すやうに書く」と主張する作家もあるが、戯曲はとにかく、小説となると、どうしても叙述が主になるから、日常の対話とその趣を異にするのが普通である。
 それなら、小説の中の会話や、戯曲の中の白《せりふ》がどうかと云ふと、これまた、その人物の境遇、職業、年齢、教養、並に作者の好みによつて、所謂、「万人」の模範となるやうな言葉を使はせるわけに行かない。
 が、何れにせよ、文学に親しむことは、言葉の洗錬に役立つこと勿論で、字引のやうにそれをそのまゝ使はないまでも、言葉に対する感覚を鋭敏にし、豊富にすることはたしかである。
 それならば、文学を専門にやつてゐる人達の「言葉遣ひ」乃至、「言葉の調子」は、さぞ申分のないものであらうと想像されるかも知れぬが実はそんなものでなく、普通の人から見れば、その「文学的すぎる言葉の遣ひ方」が、既に、片寄つた好みと癖を示し、一種の臭みになつてゐることを気づくのである。
 言葉の中に含まれる「職業的臭味」
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