大体次のやうな注意が必要である。
一、標準語は、文法的には正しいかも知れぬが、元来、「活きた言葉」として、自然な感情を盛るに適しない。従つて、方言を訂正する参考にはなるが、対話の呼吸を束縛する恐れがある。
二、東京弁なるものの中に、実は、東京の方言が沢山混つてゐることを知らねばならぬ。殊に、同じ東京でも、山の手と下町では、言葉の性質が違ふ。その上、東京弁は、東京乃至関東人の「気質」を表はしてゐる言葉であつて、例へば、関西の人が東京弁を使つても、それは東京弁にはならないのである。
三、地方の方言又は訛は、それ自身、少しも排斥すべきものではないが、習慣的に、他の地方、殊に東京では、耳障りになる。滑稽に聞える。それも「個人的」な話の場合はそれほどでもないが、「公」の場所、又は、「公」の問題だと、一層、不似合な感じを抱かせる。理屈に合はぬ話だが、これは「文化は東京を中心とし、学問は東京弁に近い標準語を以て学ぶ」といふ単純な理由からであらう。が、前にも述べた如く、地方語には地方語の特色魅力があり、また、ある地方の「言葉」は、その地方の「気質」を伝へるに適してゐるのだから、これを「利用」する
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