葉」なる一種の上流語は、必ずしも「品位」のある言葉ではなく、時には、形式的な儀礼を示すに過ぎず、時には、相手の貴族的階級心に媚びる卑屈な調子ともなるのである。
 品位のある言葉とは、要するに、その人の「高い教養」から発する「矜持《プライド》」の現はれであつて、己れを識り、相手を識り、礼節と信念とを以て、真実を美しく語る言葉である。

       四

 とは云へ、日常の会話が、それほど「選択された言葉」である筈はなく、またその選択に、それほど時間と労力を費してゐては、話す方も大儀なら、聴く方も骨が折れ、従つて、結果は、「言葉の魅力」を発揮し得ないわけである。
 言葉は、「自然」であることが、比較的美しいといふのはそこである。従つて、不用意に発する言葉が、そのまゝ「魅力のある」言葉となる場合は屡々あるのである。
 が、同時に、「訓練された言葉」そのものは、一つの文化的魅力であつて、日本人はもつと「現代語」を美しくする工夫をしなければならぬと思ふ。
「語られる言葉の美」と題する一文の中で、私は嘗てこの問題を詳く論じたことがあるが、声と発音のことは別として、「言葉遣ひ」だけについて云へば、
前へ 次へ
全13ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング