言葉の魅力は、それ故、初めにも云つた通り、詮じつめれば、「表情の美」である。意識するとしないとに拘はらず、自分がそのまゝ「言葉」の中に出るものであるから、極端に云へば、「言葉」を美しくしようと思へば、自分自身を錬へ上げるより外はない。信念を披瀝する人間の言葉、愛情を吐露する人間の言葉が、常に、何等かの意味で美しいと同じく、素朴な人、感情の濃やかな人、控え目な人などと、それぞれ、その人らしい言葉を使ふものである。そして、それは、それぞれの意味で美しい響をもつてゐる。
 言葉は性格を反映するばかりでなく、その人の「品位」を決定する。この中には多少趣味といふものも含まれてゐるから、上品な言葉遣ひとか、下品な言葉遣ひとか云つても、それだけで、その人の「品位」全体を推断することはできないが、言葉の撰択に示されたある標準が、少くとも、この人を上品にし、又は下品にする。この場合、上品な言葉を遣ふからその人が上品であるとは限らない。練習次第では、どんな「言葉遣ひ」でも真似られるものである。それがたゞ、ほんとうに自分の撰択によつて、自分のものになつてゐるかゐないかである。例へば、俗に云ふ、「遊ばせ言
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