、近代文学の理解に乏しいため、その写実主義は殆ど些末主義《トリヴィアリズム》の悪どさに堕し、彼等自身に親しみある生活環境を映す場合にやや独特な雰囲気を醸し出すにすぎない。
「歌舞伎」も「新派」も、倶に、その観客層は極めて狭い範囲に限られてゐる。月々の興行は、俳優個人個人の奔走によつて、彼等の「ひいき」と称する後援者たちに切符を売りつけなければ成立しない有様である。そして、その「ひいき」なるものは、多くは伝統的文化の心酔者であり、花柳界を中心とする浪費階級である。
 今世紀の初め、欧米を巡業した川上音次郎貞奴夫妻は、所謂「新派」の創始者であるが、彼等は、その演劇的訓練に於て、当時、素人の域を脱してゐないもので、たまたま、「歌舞伎」の模倣的演技が、西洋人の好奇心を煽り、彼地に於て誰も予期しなかつたやうな喝采を博したのであらう。ただ巴里に於てジュウル・ルナアルが唯一人、彼等の舞台に嘲笑を投げてゐるのは、炯眼といふべきである。
「歌舞伎」「新派」に対抗して起つた一つの演劇革新運動――これは、西洋諸国の「近代劇運動」に相通ずるもので、日露戦争後、俄かに擡頭した様々な思想運動、殊に、一般の文学熱を
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