、そして文学、何れも、さうである。
過去五十年の歴史は、表面的に日本を近代化したやうに見えるが、国民生活の根柢には、まだまだ多くの封建的なもの、意識的に伝統を固執する精神が氾濫してゐる。殊に、指導階級は、その教養に於て、常に鎖国的であつた。国際的であることにある種の危惧を懐いてゐるのである。
かかる情勢に於て、近代芸術が伸び伸びと育つ筈はない。若いヂェネレエションのなかにさへ、三百年前の感情が眠つてゐるのである。
しかしながら、一方では、時代の要求が様々な形で敏感な精神をゆすぶつてゐることも事実だ。芸術の革新運動は、それゆゑ、先駆的であると同時に啓蒙的な色彩を帯びる。美術、音楽、文学、何れも、欧米のそれの紹介から始まつて、そのコピイ、模倣、次いで、咀嚼の時代にはひる。現代日本の生活は、公平にみて、まだ「近代芸術」を呼吸してゐないのである。独自な魂を盛るべき普遍にして至高な形式を発見し得ないのである。
そのうちで、現代日本が、やや自負を以て、われわれの芸術と称し得べきものは、恐らく「短篇小説」であらう。殊に「心境小説」と呼ばれる作家の内生活の記録は、その深さ、その鋭さ、その渋さに
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