ち上げてゐる。中村吉蔵は、イプセンの研究家と目されてゐるが、初期の一幕物に真摯な態度が見られるだけで、近来は余技的な作品しか発表してゐない。
 菊池と山本とは、共に戯曲を見捨てて、小説のみを発表するやうになつた。劇作家が芸術的にも経済的にも酬いられない現状にあつて、彼等の才能は、真にこれを求める方向に伸びようとするは亦自然である。
 もともと菊池は英文学、山本は独文学を専攻した。一はアイルランド作家の、一は、ストリンドベリイとシュニッツレルの影響を受けた。特に山本は、その熾烈な正義観と一作をも忽せにしない芸術的良心によつて、劇壇に孤高の地位を築いた。が、何れも、その気質からいへば、西洋的であるよりも東洋的であり、その著しい自由主義的色彩にも拘はらず、西洋演劇の本質に対して十分な興味を惹かれなかつたことが、彼等の演劇的熱情を早くも冷却せしめた一大原因であらう。
 これに反して、久保田万太郎は、その作品の回顧的な主題と保守的な生活感情とに拘はらず、確乎たる文学的精神を以てこれを貫き、稀にみる純粋かつ新鮮な舞台的生命を創造した。西洋劇に於ける心理的詩味の伝統は、不思議にも彼の手によつて初めて日本の劇壇に移されたといつていい。その世界は極端に狭いものであるが、雰囲気の描写と会話の劇的リズムとは自ら彼の作品をユニックなものにしてゐる。商業劇場は、それゆゑに、彼を迎へようとしないのである。
 前記築地小劇場の創立は、様々な意味で新時代の作家を刺激したが、新劇当事者の気まぐれと衒学的態度は、遂に、そこから有為な作家も、訓練ある俳優をも生み出すに至らず、間もなく、小山内の死と共に、劇団は崩壊した。
 この期間に、別の方面で、西洋近代戯曲の大部な翻訳出版が行はれた。浪漫主義より表現派までの、あらゆる先駆的作品は、悉く日本語で読み得るやうになつた。仏蘭西劇が新しい面貌をもつて登場した。

 旧劇俳優に魅力を感ぜず、所謂新劇俳優の技術を信じない少数の新進劇作家は、勢ひ、「未来の劇場」のために書かざるを得なくなつた。ここで、改めて、「戯曲の本質」といふ問題が考へられ、「舞台の言葉」を探す努力が続けられた。
 その結果が、漸く現はれた。この二三年来、劇文学の領域に於ては、舞台と関係なく、著しい進化が認められるやうになつた。
 一時、若い演劇的スノブを総動員し得た観のあるプロレタリア演劇が、再
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