いひ、「本質的に」旧態依然たる有様だといつたが、それは、文壇の表面に浮び出た若干の例のみについて述べたのであつて、爾来、黙々として動きつつある次のヂェネレエションこそは、実に、この十年間の歩みを独占してゐたのだ。
 何によつてそれを感じるかといへば、聊か主観に偏するきらひはあるが、私は敢て、周囲にそれを感じさせる二三の若い友人がゐると答へたい。彼等は、勿論既成劇壇に何等の期待をおいてゐない。彼等はまた、所謂「文壇に出る」ことを最初の目的ともしてゐない。彼等は、日本の新劇が今日まで達し得たところを以て、自分の出発点とする考へすらもつてゐない。彼等は文字通り、戯曲と倶に、ただそれのみと生きて来、また生きようとしてゐる。
 私は、故らかくの如き悲壮めいた言ひ方をするのではない。今日の時代に、彼等が、如何に傑作を書かうとも、これを世に問ふ機関がどこにあるかといふことを考へるのだ。同人雑誌、殊に演劇に関する片々たる小雑誌の如きは、世間的に見れば、せいぜい原稿のコピイ同然だ。彼等は、時勢を識るにせよ知らぬにせよ、その作品が、活字によつて、多くの知己を得るなどとは考へてゐまい。それ故に彼等は、徒らに
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