ために、一度砂をかけたブル劇作家協会に寄附を申込んだ。
 一寸面喰つたのはCGTの荒武者連である。「劇作家つて云や芝居の筋を作る先生だが、名前を見て見ると、一向聞いたことのない名前ばかりだ。アンリ・バタイユとか、トリスタン・ベルナアルつて云ふやうな先生はどうしてへえらねえんだ」と疑い出した。「そんなら、劇作家がへえつたつて、別にCGTの名誉にもならねえ」と思つた。然し、同病は日ならずして相憫み、相愛し、相助けるやうになつた。こゝで特筆すべきことは、貧乏ではないがコンミュニストの一劇作家は、久しくヴォオドヴィル座に原稿を「眠らされ」てゐたが、劇作家組合に加入して、CGTの仲間入をすると、すぐに同劇場の機械係、小道具係、電気係等の運動でその脚本が上演され、サンヂカリズムの予期せざる効果が現れたことである。

 そこで、今後注目に価するのは、此のCGT劇場である。無資力無後援の隠れた才能を世に出すと云ふのが同劇場の目的であるとすれば、必ずしも主義宣伝劇に終始するわけでもあるまい。
 一度上演された脚本は、始めて単行本として印刷される可能性ができるわけである。前にも述べたやうに、脚本の原稿を本
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