劇場主に対して、出せ出さぬの押問答は無益である。コルネイユは自作の上演料だけで生活は出来なかつた。その後、上演料に関する劇場の内規が出来はしたが、勿論、俳優殊に劇場主本位のものである。十七世紀末、勅令によつて作者に支払ふべき上演料を決めたが、多くの例外規則が出来て、作者は常に虐待され勝ちであつた。
 此の状態から劇作家を救つたのが、「フィガロの結婚」の作者、ボオマルシェである。彼は宣言した。「成るほど、名誉は有難い。然し、その名誉を、たつた一年間背負ふために、三百六十五日、飯を食はなければならないことを忘れて貰つては困る。軍人や裁判官が、堂々と俸給を貰ふのに、どうしてミュウズの情人どもは、パン屋の勘定に苦しめられながら、役者たちと金の談判が出来ないのだ」一七七七年、デュラの後援を得て、劇作家協会を設立した。ディドロは、その隠退所から盛に声援したものである。
 劇作家の利権は、漸次法律によつて擁護されるやうになり、例へば、上演料も、作者生存中支払ふべき規定が、作者の死後十年間、遺族がこれを受くべきことに改正され、次で、それが五十年まで延ばされるに至つた。処で、五十年後は、如何なる作品も公
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