@と、浪漫主義的ファンテジイとの極めて微妙なる融合である。ファンテジイとは理智的想像の遊戯である。作者の感興を以て人物の生活を程よく着色することである。此の着色によつて、作者の凝視する実人生の姿が、生々しき陰影を没して調和と休息ある世界に反映し、そこから一種のリリスムを反射するのである。
ルナアルは自然主義者たるべく、余りに現実の醜さを見透した――多くの傑れたる自然主義作家がさうであつた如く。そして、その醜さを醜さとして描く為めには、彼はあまりに詩人であつた――アルフォンス・ドオデがさうであつた如く。
劇作家としてのルナアルは愈々古典作家として仏蘭西劇の雛壇に祭り上げられさうであるが、ルナアルはまだそれほど老い込んではゐない。現代仏国の若き作家は、やうやくベックを離れてルナアルに就かうとしてゐる。
イプセン、マアテルランク、ドストイエフスキイ、これら外国近代作家の、それぞれの影響の中で、わがルナアルは、静かに後進の道を指し示してゐるやうに思はれる。
静かに――さうである。彼の声は聴き取り難きまでに低い。しかし、耳を傾けるものは意外にも多い。
『日々の麺麭』(〔Le Pain
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