劇作家としてのルナアル
岸田國士

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)息《スツフル》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)皮肉屋|狐主人《メエトル・ルナアル》の

〔〕:アクセント分解された欧文をかこむ
(例)〔Le Pain de Me'nage〕
アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください
http://aozora.gr.jp/accent_separation.html
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 劇作家ルナアルは、ミュッセと共に、僕に戯曲を書く希望と興味と霊感とを与へてくれた。彼に就いて何かを言はなければならないなら、僕は寧ろ黙つてゐたい。僕はあまり多く彼に傾倒し、あまり多く彼の芸術に酔つてゐる。

 彼は生涯にたつた六篇の喜劇を書いた。小喜劇を書いた。その小喜劇は、偉大なる力を以て舞台を征服した。彼は既に非凡なる戯曲作家の「息《スツフル》」をもつてゐた。
 彼は何よりもまづ「魂の韻律」に敏感であつた。

 拙訳『葡萄畑の葡萄作り』によつてルナアルを知つた人は、彼が「沈黙の詩人」であることを忘れてはゐないだらう。
「裏面の詩」は無限に拡大する言葉の幻象《イメージ》である。
 彼の作品を透して、声と色彩の陰に潜む作者の吐息を、しみじみと感じ得ないものがあつたら、文学はその者の為めに開かれざる扉である。
 彼は何人の前にも扉を開かうとはしない。

 彼の劇作は、先づ『人参色の毛』から紹介せらるべきであつた。
 僕は、山田珠樹君がその翻訳に着手しつゝあることを知つた。
 僕は『日々の麺麭』と『別れも愉し』の二篇を訳すことで満足した。
 山田珠樹君は僕の信頼畏敬する学友である。

 こゝに紹介する二篇は、自然を愛し人間を嫌ふルナアルの、最も多くその人間に接触したであらう巴里生活の記録である。

 雅容と機智を誇るわが巴里人《パリジャン》は、一世の皮肉屋|狐主人《メエトル・ルナアル》の筆端に翻弄せられて、涙ぐましきまでの喜劇を演ずるのである。

 然しながら彼は、巴里人の、仏蘭西人の、心底《しんそこ》からの人間らしさには、流石にほろりとさせられる弱味を有つてゐた。
 そして、英吉利人の、あの人間臭さには、常に顔を顰めた。

 北欧の、又は現代日本の、各人物それ自身が、勿体らしく何か考へながら物を言ふ、さういふ戯曲に慣らされた
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