ある)小学校ぐらゐを卒業し、簿記学校へでも通つたか、兎に角、早くから家計を助ける為めに職に就いた、さういふ型の男である。
此の年までに、いくらか文学書も読んだらう(ミュッセの詩ぐらゐは小学校でも習ふ)。いろんな話も聞いたらう。「自らパンを得る青年」として、彼の「小さな母」を煙に巻くゞらゐの舌はもつてゐる。学問はなくとも、そこは巴里で育つた仏蘭西人である。人並の洒落や理窟は何時の間にか覚えた。相手がそれほどの才女でなければ、「どうです、少しその辺を……」とかなんとか、あつさり云ひ出して見るくらゐの自信もついてゐる。
女は、恐らく早く両親に別れ、その為めに貞操をパンに代へた一人の少女であつたらう。恋といふ恋をし尽した女、それは彼女の移り気を語るものか、さうではなからう。愛すれば愛するほど男に離れる、さういふ運命をもつて生れた女であらう。
「わざとさうしてるわけぢやないのに、あたしが愛した男は、みんな貧乏なんですもの……」
彼女は、男が貧乏と知つて(一人の女を食はせて置くだけなら金持ちではない)その愛を他の男に遷し得る女の一人ではなかつたのである。
流行と逸楽、追従と気まぐれに日を送るドゥミイ・モンデエヌの社会は、或は彼女の夢みつゝあつた社会かも知れない。然し、彼女は夙くの昔、そんな夢から醒めてゐた。彼女は「落ち着いた生活」を心から望んでゐた。彼女はたゞ、「巷を彷徨ふ娘」に落ちて行くことを恐れた(下には下がある)その為めに、あらゆる男の手に縋つた、さういふ女の一人であらう。
彼女は、昨日まではまだ自分の「若さ」に頼つてゐた。「どうにかなるだらう」――さういふ女の唯一の哲学を、彼女もまた私かに抱いてゐた。
恋に生きる女の矜りと恥ぢを、希望と悔恨を、習癖と道徳を、彼女も亦もつてゐるであらう。
「恋人といふものは、お互に残し合ふ思ひ出のほかに、値打はないものよ」――
彼女ははじめて、「どうにかしなければならない」ことに気づいた。
若くして貧しき男、その男との絶縁は、やがて、過去の悩ましき恋愛生活との離別である。
「なんていふ空虚だらう。あんたは、何もかも持つて行つてしまふのね」――
此の空虚は、重荷を下した後の力抜けに似たものではないか。
外国の作品、殊に戯曲に現はれる人物の白《せりふ》を通して、その人物のコンディションを知る為めには、余程の注意と敏感さが
前へ
次へ
全9ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング