て十分に御馳走も味へないといふやうなことにもなる。もとのやうにちよつと胡坐が組んでみたくなるのであります。
 私どもがこれから一つの新しい組織の中にはひつて仕事をしなければならない場合にも、やはりこの習癖の違つた窮屈さが生ずると思ふのであります。しかしかういふ窮屈さに対して、自分の芸術活動が狭められたとか、不自由になつたとかいふやうな錯覚を起さないやうに、お互に心掛けねばならぬと思ふのであります。現に私の如きもさういふ覚悟は十分出来てゐるつもりでゐながら、やはり足がしびれてしやうがないのであります。また自分は芸術家だから組織の中にはひつて仕事をするのは嫌ひだなどゝ、ついうつかりわれわれは口にさへ出して云ふことがあります。しかし苦しければ口に出してしまふこともかまはぬと思ひますが、窮屈な膝を暫く辛抱して坐つていたゞけば、そのうちに自然と坐ることにも慣れてまゐります。さうして食事の味も以前と少しも変りなく味へるやうになると信ずるのであります。
 また、どうかすると、われわれ一代のうちにさういふ新しい習慣をすつかり身につけることはできないかも知れませぬ。その場合には、少くとも子孫に対して新し
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