、「大寺学校」に次いで、今度の集に収められた「ゆく年」は、力作であると同時に傑作中の傑作である。雑誌に発表された時は、誰でもさうであるが、ついあわたゞしい読み方をするために、久保田氏の戯曲のリズムに乗つて行けないことがある。耳を澄まさなければ音色の聴きわけ難い調べもある。構成もうますぎるほどうまいし、殊に、お家の芸ではあるが、心理の畳み込みがひときは鮮かで、手馴れた役者で舞台が見られたらと思ふのは僕だけではあるまい。
「ふりだした雪」は、今年の二月、歌舞伎座で新派がやつた。珍しいことだが、やはり僕は見に行かなかつた。新派では、ちよつと違ふのである。
「鵙屋春琴」といふ題で、谷崎氏の有名な小説「春琴抄」の戯曲化されたものがのつてゐる。これは、花柳章太郎のを見た。脚色は谷崎色をはづれてゐると思つたが、それは無理もないことで、花柳の春琴だけは、まだ眼に残つてゐる。読返す必要がある。その他、「好晴」「はくじやうもの」、それに「釣堀にて」は、久保田氏のものとして、ちよつと風変りなところがあり、おやと思ふ人もあらう。友田恭助が老人直七に扮してなかなか味を見せたのはもう、一年、二年になる。
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