脚本難
岸田國士

 僕は嘗て本欄(時事新報)で、『上演目録』と題し、新劇団体存立の主要条件として、上演脚本選定に払ふべき注意の、忽せにすべからざるを説いたが、そして、「芸術的に」といふ信条以外に、「寛いだ興味」によつて、好意ある見物を惹き之を囚へる工夫をしなければならないことに言及して置いた。「寛いだ興味」――これは、決して、芸術と相容れないものではない。営利本位の劇場を向うに廻し、兎も角も経済的基礎を確立し、その存続を完うする為めには、決して、「演劇研究者」のみを対手としてはならない。――かういふ点をも、暗示して置いた。
 そこで、僕は結局、「苦悶を苦悶として取扱つた作品」、「思索を思索の形に盛つた作品」、更に「人生の厳粛さのみを教へ、又は感じさせる作品」……かういふ作品は、たとへ、芸術としての最上位に位するものと雖も、「芝居の見物」には、「時たまの御馳走」であつて欲しい、と、常々考へてゐる。所謂「教養ある観客」であるが為めに、「陽気なもの」、「ふうわりしたもの」、「とぼけたもの」、「他愛ないもの」が、何故に、「芸術的舞台」から影を潜めなければならないか。人生の真理を物語る芸術家は
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