、何故に、舞台の人物をして、「面白くもねえこと」のみを喋舌らせなければならないのか。「かういふ人物のみが充満してゐる人生とは、実に、陰気な、重苦しいものだなあ」と思はせるやうな人物のみを、何故に好んで描かうとするのか。なぜ、「こんな人物がゐたらさぞ愉快だらう、滑稽だらう、賑やかだらう、世の中はもつとゆとりが出来るだらう」と思はせるやうな人物を、どんどん書かないのか。芝居の見物は、教養の程度によつて、その興味をつなぐ点に相異こそあれ、何れも多くの場合さういふ人物を、さういふ人物の生活を、さういふ人物の活きてゐる人生を舞台の上に、劇場の中に、見に行くのである。なほつツ込んで云へば、彼等は自分たちの味気ない、平凡な、窮屈な、どんよりした、単調な生活、その生活から逃れて、一つ時でも舞台の上の、或は華やかな、或はとんでもない、或はべらぼうな、或は気の利いた、或は胸の透くやうな、或はほゝゑましい、涙ぐましい、何でもかまはない、さういふ「面白い」生活を生活し行くのである。
そんなことはどうでもいゝ、おれは書きたいものを書く、と、傲語する芸術家はよし、見物が一人でも多く、又は、少くともこれくらゐ来て
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