かしくないのみならず、読むのにやゝ苦痛を覚えた。変な芸術家気取りがないだけに、その苦痛も倉田百三氏の「赤い霊魂」(改造)を読む時ほど堪へ難いものではない。殊に前者の道楽気は後者の真剣味よりも僕には親しみが持てる。前者はともかく読了し、後者は中途で失敬した所以である。「赤い霊魂」の作者は真面目に何かを考へてゐる人かも知れない。しかし、その考へてゐることを人に伝へるためには、もつと便利な方法がありはしないか。
 武者小路実篤氏もやゝこれに似た作家である。この種の作家は概して筆を惜しむことを知らない。「女性」に「夢の国」を、「改造」に「ある物語」を、「中央公論」に「出鱈目」を発表してゐる。この人はたしかに不思議な存在だ。みんなが、みんなのためになるやうな社会を夢想してゐる時に、この人は、自分だけの気にいるやうな世界を夢想してゐる。「夢の国」は何とキザな人間の寄り集まりだらう。負けても腹を立てないといふことを見せるためにのみ角力を取る男達がゐる。そこへまた「殺されるのは沢山」で「死ぬのは困る」男が、「うぬぼれもないことはないが、あまり見よいものではない」から、けんそんして見たりする。王様と呼ば
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