、「人生」といふ標題の手前、より大なる哲学的勇気をもつて、これを一篇のソンネに縮めて欲しかつた。
「文芸春秋」唯一の戯曲、長与善郎氏作「武蔵と卜伝」は僕の興味をひいた唯一のチヨンまげ劇である。この作、必ずしも面白いわけではないが、かういふ題材はとかく常識的興味の持ち方に陥るものであるのに、この作者は、これに作者の朗らかな主観を与へてゐる。作者が、この作品に与へようとした「意味」は、さほど僕の感興をそゝるものではないが、一見、大まかに見える手法のうちに武者小路氏などと違つて、十分芸術家らしい神経を働かせ、常に完成に向つて謙虚な努力を続けてゐる作者に、僕は敬意を捧げる。
「新小説」には秋田雨雀氏の「先生抹殺」と題するフアルスがある。かういふものは、読む時次第で、をかしくもあり、をかしくもない。僕が読んだ時は、をかしくなかつた。「をかしくないといふ気持」は、変な気持である。「笑へない気持」とも違ふ。この作者は喜劇を書くべくあまりに何かを信じ過ぎてゐると思ふ。
が、これとはまた違つた意味で「中央公論」所載長谷川如是閑氏の「根管充填」といふ喜劇も「をかしくない喜劇」の一つである。この方は、を
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