の中から何を探さうとしてゐるのか、はつきりわからせないところ大いによし。
「主潮」同人樋口正文氏の戯曲批評はこれまでちよいちよい読んだ。作品を読むのはたしか今度が始めてゞある。「開演中」はなるほど、批評家の作品らしいところがある。まづくはない、殊に、そつ[#「そつ」に傍点]がない。これも「新時代の犠牲」をゑがいてゐる。が、危いかな、作者自身もその一人にならうとしてゐる。
「塔」の本庄桂介氏は即興曲「小春日和」においてある夫婦の生活を描き、才筆侮るべからず、たゞこの種の題材を生かすための観察の鋭さがない。そして殊に心境の清らかさに欠けてゐる。
「錬金道士」の岩瀬虎治氏は「生きる日」において、文科大学生気質の一面を描いてゐる。文科大学生ならばたれでも書ける程度のもの。これは侮つていふのではない、何かしら光つたものを特にこの作者に求める。
 ぼくは高田保氏に期待するところが大である。「虚無思想」といふ気味の悪い雑誌にアレゴリイの一幕「人生」を見だしたが、この高田氏の五分間喜劇は僕を一寸考へさせた。即ち、この題材なら、大概の人は二三十枚に書く。それを四五枚に圧さくした所、さすが高田氏だと思ふが
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