れる男の、貴族的平民振りはまあいゝとして、かう、めい/\が、自分の上に加へられてゐる人の注意を始終意識してゐることはやりきれない。自分のいふことは何でも人が感心して聴くと思つてゐるらしい人物それ/″\の思ひ上り方も鼻につく。さて、これらの人物を、作者は、如何なる眼をもつて視てゐるか。友情とせん望の眼をもつて見てゐる。そこには作者の、単純にして寛大な批評がある。この寛大さは、たしかに人を打つものである。作中の人物は、何れも人間の醜さを覆ふために、同じく醜い人間となつてはゐるが、それは丁度、さる[#「さる」に傍点]が盗んだ果物を後へかくして逃げるやうな罪の無さによつて、人の心を和げる。たゞこの効果は、憾むらくは作者の企図したものではない。それだけに、われわれの興味は、常に作品を離れて作者にのみ向はうとする。
「ある物語」と「出鱈目」は取り立てゝいふべきほどのものではない。
 序にいつて置くが、この作家はもつとも芸術家的な魂を持つてゐる作家の一人である。それと同時にこの作家は、もつとも芸術家的ならざる感覚をもつてゐる作家の一人である。

 里見※[#「弓+享」、第3水準1−84−22]氏は「
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