代の新戯曲壇は、文学的に栄養不良の「親無し子」である。
 第二に、これは屡々云つた通り、優れた現代演劇のない国に、優れた劇作家の出る筈はなく、偉大な才能はまた偉大な自己愛護者であるから、名優の出演望み難き現代劇など書くよりも、小説を書いて、直接その価値を世に問ふことに、満身の熱情を燃え立たせるのである。
 第三に、余程、偶然の機会に、戯曲的表現に興味を覚えたものでなければ、大概の作家志望者は、文学的野心の対象を、分野の広い、好いお手本のある小説に向け、教養の高まるにつれて、また、自信がつけばつくほど、標準の低い戯曲からは絶縁してしまふのである。
 これに反して、文学的稟質の稀薄な、それでゐて、徒らに名誉心の強い青年が誤つて文学雑誌など読み耽り、偶々素人劇団の舞台でも見て歩くと、すぐに書いてみたくなるのは、「自分たちが喋るやうに書ければいいらしい」戯曲なのだ。
 第四に……。もうこれくらゐでよからう。こんなことをいくら云つてみても愉快ぢやない。それより、実は、かくの如き情勢のうちから、やはり、優れた戯曲作家が、これからは、少くとも、出て来て出て来られないことはないといふ希望を、私は持つて
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