於てであり、「舞台的」とは、新しい意味に於てであるといふ条件だ。
 なぜなら、私は、今日までの戯曲が、少しも、広い意味に於て「文学的」であつたとは考へられず、また、これまでの所謂、「文学的戯曲」の中にも、旧い意味では、「舞台的」でありすぎたものさへ決して少くないと思ふからである。
 私の考へでは、これからの戯曲が、その文学性を徹底させることによつて、より「舞台的」に進化の道を辿る以外、演劇は遂に滅びる運命にあるのだ。これは、演劇を文学に従属させよといふ意味ではない。寧ろ演劇が、文学の領域を拡大させ、文学に於ける戯曲の分野を、豊饒にし、且つ、多彩ならしめる、貴重な、そして、伝統的なる役割を継続しなければならぬといふのである。
 そこで、最後の問題として、多くの戯曲が、殊に、わが国現代の所謂芸術的新戯曲が、何故に、文学的レベルに於て、平均、小説の下位にあるかといふ機微な点を暴いてみよう。
 第一に、小説は、古来、わが国でも、既に幾人かの巨匠を生み、その光輝ある伝統は、十分に、現代の中に育つてゐる。然るに、戯曲の方面では、舞台の偏質的発達と共に、その伝統は、外国文学の移入によつて中断され、現
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